黒歴史日記。

なで肩です。

自意識過剰マンの戦い-2について

昨日の続きで申し訳ないが僕はとにかく人に見られてるかもしれない!という意識が強い。普段僕はバスに乗って大学にいく。それまでは1人だが、いざ大学の敷地に入った瞬間、いつ友達に話しかけられるかわからない。だから僕は大学の敷地に入ったら、それまでバスでノリノリで聴いていた「Pretender」やら「白日」やらを消して海外のHIPHOPを再生させる。急に友達に話しかけられて、イヤホンをとったとき漏れる音が聴こえても良いように。Spotifyを閉じるためにスマホを開いた一瞬の隙に再生画面を見られても良いように。もちろんこの涙ぐましいまでのかっこつけ努力が実を結んだことはない。

 

そんな自意識過剰マンの僕が大学に入って1番ショックを受けたのは男女の距離感だった。言語と体育を一緒に受けるクラスメイトの男の子は本当に全員が大人しくて、真面目で、良い人たちだった。いわゆる「こいつがこのクラスのヌシやな!!」タイプの男の子が誰1人いなかった。自分も含めて本当にみんな高校4年生みたいだった。

僕たちが打ち解けるのは早かった。今でもすごく仲が良いし、会う時間は少なかったが、多分クラスの男の子とは全員話したと思う。みんながどう思ってるかはわからないが僕は完全に「まぁ俺ら同じ自意識過剰マンやからな。」と安心しきっていた。

 

 

事件が起きたのは突然だった。

 

 

大学1年の夏前くらいだろうか。自意識過剰マンのはずの友達がクラスの女の子を下の名前で呼んでいたのを聞いたのだ。

僕の知ってる自意識過剰マンは、女の子からの「は?馴れ馴れしいんだけど?」「なに勘違いしてんの?」「え、きも。。」が怖くてうかつに下の名前の呼び捨てはできないはず……「ガーーーーーン!」青天の霹靂。大大大ショックであった。ずっと女の子の下の名前呼びは彼氏になった男だけの特権だとも思っていた。

 

高校が男子校だったこともあるが…いやいや中学でも彼女以外の女の子を下の名前で呼んでたやつは居なかったはずだ。とにもかくにも勝手に自分が「自意識過剰マン」だと思っていた友達がある日突然、僕がすごく高いと思ってたハードルを軽々飛び超えたのだった。

このショックは凄まじかった。「だっせぇな、お前。」と誰かに言われたような気がした。

 

この事件とほぼ同時期に僕に好きな人ができた。それから少ししてからその人とお付き合いすることになった。すごく嬉しかった。そこで僕はようやく下の名前の呼び捨てで好きな人のことを呼ぶことができた。しあわせだった。

しかし、これで終われないのが自意識過剰マンの悲しい性である。

 

付き合ってから1年以上は経ったであろう、ある日突然「なんで下の名前の呼び捨てなの?えらそうで嫌なんだけど?」ショック過ぎて詳しいことは覚えてないがまぁこんなニュアンスのことを言われた。

驚きで「え!!今さらそれ言う!?」が言えなかった。今思えば彼女なりの1年以上に及ぶ溜めに溜めてのフリだったのかもしれない。だとしたら本当に申し訳ない。うまくつっこめなかった。

そしてフラれた。3回フラれた。

 

こうして自意識過剰マンはまた孤独になった。

 

もちろん、下の名前の呼び捨てで呼べるような異性はもう誰もいない。◯◯ちゃん呼びが今自分のできる最大限である。多分、このままなんの進展もなく僕の大学生活は終わる。周りを見渡すと物語の主人公のように、何も気にしないで好きに生活してるように見える人がたくさんいる。好きな物を食べて、好きな髪型にして、好きな服を着て、好きな曲をストーリーにあげて、カラオケの一曲目を躊躇なく歌える。もちろん女の子を呼ぶときは呼び捨てだ。

 

自分にはあれができない。自分は主役になれない。桃太郎にはなれないのだ。負け犬があたかも主役になったような猿真似をして、こうして記事を書いているのだ。3匹揃った根っからのお供気質である。

 

なんて。ね。お後がよろしいようで……。