黒歴史日記。

なで肩です。

素敵な定食屋について

僕の住んでいる寮の近くに定食屋がある。

 

店内は15席ほどしかない小さなお店で、ご夫婦お2人でお店を切り盛りされている。

お店中が温かい雰囲気にたくさん溢れている素敵なお店だ。

 

アットホームな雰囲気のお店だが、意外にもお店の旦那さんも奥さんも、お客さんにやたら話しかけたりはしない。(もちろん、お忙しくてそんな暇がないというのもある。)

 

 

僕も何回も通っているが、お2人との会話は注文とお会計の確認、それと帰り際に言われる

「いつもありがとうね。」

だけだ。

 

それでもお2人がとても温かい人で、お客さんのことをよく考えてくれていることはすごく伝わってくる。

 

料理がどれも優しい味で、とても美味しいのはもちろんなのだが、お2人はお客さんによって出すお茶碗の種類を変えているのだ。

 

同じ定食を頼んでも、僕と、40代くらいの紳士的な方、定食と一緒に昼間からホッピーをたしなんでいるおじいちゃんとでは、出されるお茶碗の色や材質が違う。

 

40代くらいの紳士的な方には、白地に青の線がいくつか入った、どこかスタイリッシュなお茶碗。ホッピーのおかわりを頼んだこのおじいちゃんは深い緑でギザギザの線が入った落ち着きのあるお茶碗。

 

何回か通ううちに、僕には真っ白で少し大きめなお茶碗が出されるようになった。

 

なにを頼んでもご飯が盛られるのは、この真っ白なお茶碗。

 

といっても僕はお金がないので、頼むのはほとんど一番安い「しょうが焼き定食」か「からあげ定食」だ。(どちらも650円で、びっくりするくらいボリュームがあって、これまたびっくりするくらいに美味しい。)

 

お2人に真っ白なお茶碗を選んでもらえたことが、僕は本当にうれしかった。

 

 

これだけきれいな白色のお茶碗なのに、一切汚れやシミ、長年使っている跡がない。

お2人がとても大切に、丁寧に洗われているのだろう。

 

真っ白なお茶碗はきれいで、元気で、無邪気で優しかった。

 

そんな大切なお茶碗を僕に使ってもらえるのは、言葉はなくてもなんだかすごく褒められたような気がしたのだ。

 

 

 

 

 

 

だけど、そんな真っ白なお茶碗を見るとつらくなってしまう日もあった。

 

僕の不用意な言葉で、大切な友達を傷つけてしまった日。

何をやってもうまくいかず、街を歩く人みんなが自分の敵のように見えた日。

まったくいらない物をその場の空気に押されて買ってしまった日。

忙しい日にかかってきた実家からの電話を、いらいらして無視した日。

 

そんな日は、この真っ白なお茶碗が、自分に似つかわしくなく思えてつらくなった。

 

こんなにきれいなお茶碗を使うことを許されるほど、僕はきれいな人間じゃない。

 

今日も真っ白なお茶碗を出してくれる優しいお2人を

僕は裏切ってしまった。

 

そう思うとやっぱり悲しくなった。

 

そんな腐りかけの僕を、分厚くて、やわらかいしょうが焼きが、からっと揚がったジューシーなからあげが、優しい味のお味噌汁が、丁寧に味が染み込んだ大根の漬物が、助けてくれた。

 

 

こんな僕にも、お2人のお料理がたくさん元気をくれた。

 

 

 

そうだ。飯なんてもうどうでもいいと思ってたけど、僕は今日これを、この味を食べに、外に出たんじゃないか。

 

この真っ白なお茶碗で美味しいご飯をたくさん食べて、また帰ってから頑張ればいいじゃないか。

 

 

すごくきれいごとを言っているかも知れないけど、そう思わせてくれるくらいこのお店は素敵なのだ。

 

 

 

大学を卒業して、この町を離れるときには最後にここの定食屋さんにいきたい。

 

いつも一番安いものばかり頼んでいたから、最後は一番高い、900円のカツカレーを食べよう。

 

でもカツカレーだと、あの白いお茶碗は使ってもらえない。なんだ、結局いつものしょうが焼きかからあげになりそうだ。

 

じゃあ、定食と一緒にホッピーをたくさん頼もう。

 

そうだ。そうしよう。

 

 

2年近く先のことを今日、決めた。

 

 

ちなみに今日は定休日だった。