黒歴史日記。

なで肩です。

許されない僕について

小学生の頃、昼休みに遊んだボールを体育倉庫に返さなかったことを先生に怒られた。

 

5人で遊んでいたのだが、みんな自分が返すのは無性に悔しいので誰も自分が返そうとはしなかった。

結局誰にも返されることのなかったボールは昼休みが終わっても、靴箱に転がっていた。

 

このケース。誰が主犯とかはない。

僕たち5人は平等に悪いと思う。

 

でも、放課後。先生は僕らを叱った45分間の内、

30分は僕の目を見て怒っていた。

 

おかしい!僕らは平等に悪いのだから、1人当たり9分ずつ目を見て怒るべきだ!!と覚えたての割り算でこの世の不条理を感じたが、余計怒られそうなので口には出さなかった。

 

高校生の頃、先生が「はーい、じゃあこれわかる人〜?」と聞いた。教室の反応はシーーン…だった。

 

先生はもう1度、今度は頭の良い友達の目を見て

「おーい、これわかるやつー?」と聞いた。

教室の反応はシーーン…だった。

3度目。今度は先生は僕の目を見て

「間違っててもいいから、なんか言えー。」と言ってきた。

 

むかついたので、絶対に答えてやらなかった。

 

 

 

大学生になった。飲み会に行くようになった。

「好きなタイプは?」と聞かれて

初めて会う人たちだったので、様子見として「ん〜、やっぱ笑ったときかわいい人やな!」

と答えたら周りのテンションが一気に下がった。

放送禁止用語でも言ったのかと思うほど場は冷えた。

 

片や、「無人島に1つだけ持ってくとしたら?」と聞かれた男友達が

「んー、なんだかんだ昔の写真とかかなぁ〜。」

と答えたときは、周りのみんなの目は輝いていた。

あなた、深いことを言いましたね!みたいな顔をしていた。

みんな「あぁ〜、良いねぇ〜〜。」とか言ってた。

 

まじか!!と思った。衝撃だった。

 

こんな!この現場の好感度しか気にしてないような!非現実的な!答えはみんな許すのに、俺の笑顔かわいい人好き発言は許してくれないのか……

 

でもこの世はそうなのだ。

 

カラオケに行って、歌わないことを許される人もいれば、そうじゃない人もいる。飲まなくていい人もいる。趣味を昼寝と答えても許される人。好きな食べ物が焼肉で許される人。将来の夢が「今はない。」で許される人。1億円貰ったら貯金します。で許される人。ファミレスで周りはがっつり食べるときに、1人だけドリンクバーだけしか頼まなくてもみんなに何も言われない人。

 

みんなで悪いことをしても、なんとなく先生が怒りづらい人。授業中、誰も発表しなくて先生が困っていても、自分は発表しなくても大丈夫な人。大学のオンライン授業で、自分のカメラをオフにしていても、教授からの圧が無い人。

 

この世には許される人とそうじゃない人がいる。

 

僕はずっとそうじゃない人だった。

飲み会の質問は大喜利のように聞こえるし、カラオケはなんとか場を盛り上げるべくモンパチを歌うし、ファミレスにいったらお腹が空いてなくてもなんかピザとかを頼む。

 

何人かで怒られていても、先生からの集中砲火率は高いし、授業中は頭が悪いなりに何か発表をして、授業を盛り上げるための燃料にならなきゃいけないし、知っている先生のオンライン授業でカメラを切るとつっこまれる。

 

自分がかなり自意識過剰なのはわかっている。

 

ただ今まで生きてきて感じた、自分のこの役割はあながち間違ってはないと思う。

 

ちなみに、僕はこの役割が全然嫌いじゃない。

 

自分の頑張りが、周りに良い雰囲気を与えられるのであれば、それほど嬉しい事はない。

 

しかし、もしそんな「許されない僕」のわがままが1つ許されるのであれば、死ぬ前に1度だけで良いので、

「今まで許されてきた人」たちだけが集まってしまった飲み会が、ことこどく変な空気になる様を見てみたいとも思うのだ。

タンポポを引っこ抜けるかについて

小学1年生か2年生の頃に、理科の授業(正確には生活科)で授業時間にみんなで近くの公園を探索するというのがあった。

 

公園に行くと管理人みたいなおじさんがいて、その人が公園にある花や虫や木について、あれこれ説明してくれる。それらの中で自分が気に入ったものをスケッチして下に説明文を書くという内容の授業だった。

 

おじさんがタンポポの話をしてくれた。

「これは、セイヨウタンポポといって外来種タンポポです。日本のタンポポと違って花の根本が反り返ってピラピラしているのが特徴だよ。最近、日本のタンポポをめっきり見なくなったなぁ…もしかしたらこのセイヨウタンポポのせいかもね…。」

 

ふーーーん。が僕の正直な感想だった。

 

タンポポも色々いて、タンポポの世界も大変なんだなぁ…。と自分とはまるで関係ない話だと思っていた。 

 

それより僕はみんなの注目を集めたくて、四つ葉のクローバーを探すのに夢中だった。

 

 

 

公園探索の時間が終わった。

ちなみに、四つ葉のクローバーは見つからなかった。切羽詰まった僕は三つ葉のやつをちぎって、四つ葉のクローバーを偽造した。

7歳にしてこの悪行。性根が腐ってるとしか思えない。

 

僕らはみんなで歩いて学校に戻っていた。すると突然何人かの笑い声が聞こえたので、僕は後ろを振り返った。

 

笑い声の震源地に目を向けると、

同じクラスの友達のM君が道路のアスファルトをつき破って咲いているセイヨウタンポポをブチブチと抜いていた。

 

周りは笑っていたが、M君の顔は真剣だった。

 

M君は歩いている最中に道端に咲くタンポポを見つけては、花の根本を観察して、ピラピラが確認できると容赦なく抜きまくっていた。

 

そういえばおじさんはタンポポは食べられるとも言っていた。

 

まじか。M君。帰ったら給食の時間なのに。

 

食べるつもりなのか?と聞いてみると

M君はいたって真剣に

「こいつがいるから、日本のタンポポが大変なんだ!」と僕の方には一瞥もくれずに、ひたすらセイヨウタンポポを抜き抜きしていた。

 

 

驚いた。というかなんでM君がそこまでタンポポに真剣になれるのか本当にわからなかった。

日本のタンポポに親でも救われたのだろうか。

 

今考えると、きっとM君はとても素直で、優しい子なんだろう。

 

当時の僕は、幼いながらにM君がどれだけセイヨウタンポポをぶち抜いても、M君1人の力ではタンポポ界は何も変わらないことを、なんとなく察していた。

 

それは多分、僕自身への諦めでもあった。ちっぽけな自分が何か行動したところで世界は変わらない。

 

だから、僕はタンポポのことを他人事にして、自分の世界から無かったことにした。

 

でも、M君は立ち向かった。小学生の僕たちにとっては巨大すぎる壁。セイヨウタンポポに。

 

M君は、日本タンポポのピンチを自分の世界の物語として、受け入れた。

 

当時の僕は、

そんなM君をバカにしたのだろうか?

それとも尊敬したのだろうか?今でははっきり覚えていない。

 

ただただ強烈な思い出として、13年経った今でも僕の心に残っているのだ。

 

 

 

 

 

 

今のご時世。友達と遊びにいけない。飲みにもいけない。学校にすらいけない。

「自分くらい……。」弱い僕は、部屋に1人で居る2ヶ月弱の間に何回も脳裏をよぎってしまった。

 

 

 

でも、その度に13年前の春、引っこ抜かれてアスファルトに散らかっていたセイヨウタンポポを思い出して、僕は我慢するのだった。

ノートパソコンとダイオウイカについて

暇だ。暇である。とにかく暇なのだ。

 

将来に向けてやらなきゃいけないことは山積みなのだろうが、それらは気がつかなければ良いだけだ。

 

毎日、1日中、ずっと部屋にいる。

そんな生活の中で今日、1つマイブームができた。

これが結構難しい上に、ハマると面白かった。

僕は今日1日ずっと夢中になった。

 

 

 

きっかけは少し前に僕のノートパソコンが壊れたことだった。

「パソコンが壊れた!」と僕が友達にどれだけ悲痛な思いで訴えても

「まぁ、こういう電子機器って2年経ったらどっか悪くなるよね〜」と軽くあしらわれてしまうのだった。

 

あんなに高かったのに!?!?と思ってノートパソコンの寿命を調べると大体は5年でご臨終らしい。3年くらい使うと、どこかしらにガタがきてもおかしくないのだという。

僕のパソコンは3年目だ。

 

これが「無常観」というやつか…

多分間違っているんだろうが、僕は自分のノートパソコンにこの世の儚さを感じた。

 

そして今日。

ふと、疑問が出てきた。ベランダから見える電線に止まっているこのハトとノートパソコンはどちらが長生きするのだろうか?

 

あれだけ高かったのだ。ノートパソコンにはせめてハトより長生きして欲しい。

 

ハトの寿命を調べる。僕らが普段見ているあの灰色のハトは「カワラバト」というらしく寿命は6年だった。寿命の長さはハトの勝ちだ。

 

そこから1人で、ノートパソコンとおんなじくらいの寿命のモノを探しまSHOWのコーナーが始まった。

僕は寿命の長さがギリギリ、ノートパソコンの勝ち!なモノを考えに考えて、ネットで調べて答え合わせをする。という作業を今日1日ずっとやっていた。

 

リス…6年〜8年

スズメ…3年

サンマ…2年

スニーカー…3年

財布…3年

リュックサック…5〜10年

ダイオウイカ…2〜5年

母のふなっしーブーム…半年

母の五郎丸ブーム…半年

母の韓流医療系ドラマブーム…半年

飲料水…1年

油性ペン…5年

メガネのフレーム…3年

めんつゆ…6ヶ月(冷蔵保存)

 

こう見ると、人が作ったモノの寿命のほとんどが大体3年に設定されていることに、少しオカネの匂いを感じなくもない。

 

ノートパソコンの寿命に1番近いのはダイオウイカではないだろうか。2〜5年。かなりドンピシャだと思う。おそらくダイオウイカも3年くらい生きると、身体のどこかに不調を感じているはずだ。ノートパソコンとダイオウイカのまさかの共通点。これはトリビアの種2分咲きである。

 

パソコンも、イカも、僕も、いつか死ぬ。

 

限られた時間を有効に過ごすために明日も最高の暇つぶしを考えようと思う。

 

 

 

 

 

ちなみに母は今、大阪府の吉村知事が好きらしい。

男女の友情は成立するのか?について

こないだオンライン飲み会の最中に「男女の友情は成立するか?」という話題になった。

 

ほろ酔い気分の僕は、「よっしゃ。引くほど語っちゃろう。」と意気込んだが、結局うまく無視されて不完全燃焼に終わってしまった。

 

かなり悔しかったので、ブログに書いてやることにした。ヤーイヤーーイ!!

 

僕はゴリゴリの「成立する」派だ。

というか「成立しない」派の方々は異性を全員性的な目で見てしまう…ということだろうか。やだ!ハレンチ!!

 

もちろん、そんなことはないだろう。

「成立しない」派の人だって性的な目で見れない異性はたくさんいるんだろう。じゃあ、「成立しない」派の人にとって性的魅力を感じない異性の存在はどう映っているのだろうか。

背景?マネキン?宇宙人?

だってさっき、異性は友達として見れないって言ったじゃないか!

 

「成立しない」派の人は無意識に異性を「性的に魅力を感じるか?」否かで判断して、感じない!と判断した異性には友達としてすら、興味を全く持てない…ということにならないだろうか。

 

ひどい!!ひどいよぉ!!お前らには人間の血が通ってるのか!!!

と僕がどれだけ語ったところで彼らには、宇宙人が「◎△$♪×¥●&%#?!」と言ってるようにしか聞こえてないのだろう。

 

 

「じゃあお前は異性に恋愛感情or性的感情を感じないのか!?」

 

「成立しない」派の方から聞こえてくるであろう意見である。

 

「ギトギトに感じます!!!」が僕の答えだ。そりゃそうだ。人間だもの。

 

ただ「成立しない」派に言いたい!

「友情」と「恋愛感情or性的感情」はそんなに二者択一のものだろうか?どっちかしか選べないのか?

どっちかを取ると、どっちかが無くなってしまうものなのか?

 

否。僕はこの2つの感情は両立できると考える。つまり、同じ人に対してこの2つの感情同情に抱くことができる!というのが僕の主張だ。

 

だって、そもそも友達になれないやつを好きになんてなれなくないか?

 

この人すごい気が合う!←このときはまだ友情

この人といたら楽しい!←友情

この人ともっといたい←友情とちょっとの恋愛感情

よっしゃ告るで!!!←友情+恋愛感情

付き合えた!!!←友情+恋愛感情

結婚した←友情+恋愛感情

熟年夫婦←友情+ちょっとの恋愛感情

おじいちゃんおばあちゃん←友情

 

こんな感じで友情と恋愛感情って両立できないだろうか。友情と恋愛感情どっちか!ではなくて、実は恋愛感情の根底には友情があるのではなかろうか。

 

「恋愛感情or性的感情」は本能とも呼ばれるべき感情で勢いはあるが、長続きはしにくいと思う。こればっかりは生き物としてしょうがないと思う。生殖器が衰えてしまえば、このような感情は薄れる、或いは無くなってしまうだろう。

 

一方の「友情」は長続きする感情である。

 

たとえば、お互いにお年を召していても、仲の良いご夫婦はたくさんいらっしゃる。ただ彼らはお互いに対して恋愛感情100%だろうか?

 

この人といたら楽しい。この人といたら落ち着く。

何があってもこの人となら乗り越えられるかもしれない。

こんな気持ちが根底にあるから、男女の仲で無くなったとしても、離れずにずっと一緒に暮らしているのではないか。そして、これらの気持ちを「友情」とも呼べるのではないか?

 

逆に恋愛感情or性的感情だけで結婚してしまうと、大変だ。

「あなたのこと、もう好きじゃなくなったから。」

「あなたにもう色気を感じないの。」と言われたらもう終わりである。友達としても一緒に居れないような人と暮らすなど、できっこない。

 

対して、「友情」がしっかりしてる夫婦であれば、例え恋愛感情が無くなってしまっても仲良く暮らすことができるだろう。

 

 

カレカノまたは夫婦の間にも実は、「友情」も含まれているのではないか?ということは、男女の友情も成立していることになる!

 

「友情」と「恋愛感情or性的感情」は両立できるのさ☆

というのが妖怪丸顔短足小僧こと僕の考えである。

 

信じるか信じないかはあなた次第だ。

母について

今日は母の日だ。

日頃の感謝の気持ちは母に直接伝えたので、この記事では母にまつわる忘れられないエピソードについて書こうと思う。

 

ある日、母が仕事から暗い顔で帰ってきた。

自分のカバンをドンっと机に置いて、一目散に自分の部屋に消えていった。

「何かあったんだろうな。」

僕は思わず母のカバンを覗いた。

封筒に入ってない、白地の手紙が入っていた。

 

そこには、母への嫌がらせの言葉がつらつらと書かれていた。

 

母は強くて弱い人だった。

頭の回転が早い人だから仕事はできる。が、いわゆる女性同士の「群れ」や「馴れ合い」みたいなのをとことん嫌う人だった。トイレも1人でいくし、昼食も1人で食べるし、飲み会にも滅多に顔を出さない。

 

それができる強い人だった。ただ、社会で生きていくには「群れ」も必要だ。「馴れ合い」から生まれる絆もある。ただ、母にはそれを認められる強さは無い。弱い人だった。

 

そんな母を良く思わない人がいたのだろう。

ある日突然、母のロッカーに嫌がられせが書かれた手紙が貼られていたらしい。

 

僕はその手紙を読んで、違和感を感じた。

どう考えても、母への嫌がらせの言葉に込められている黒くて重たい思いと、手紙に書かれている軽い字とが、合わない。手紙の字体と内容が結びつかない。

 

僕は、勉強はからきしだがその手の勘は鋭い。

重たい内容に対して、字体があまりにも若くて、軽すぎるのだ。恐らく、手紙の主は自分の娘か誰かに代筆させたのだろう。仕事中、母と手紙の主はメモでのやりとりもあっただろう。自分で書いてしまうと筆跡で手紙の主が自分とバレてしまうかもしれない。だから、娘か何かに頼んで書いてもらったのだろう。

 

僕は悲しくなった。母が悪口を言われたのはもちろん悲しかった。つらかった。だけど、大人になっても、大人になっても、悪口を手紙に書いてこっそりロッカーに貼るような、卑怯な奴がいる。気に入らない相手に対して、対話や解決ではなく、攻撃、しかも自分にはまったく痛みが伴わない攻撃しか出来ない奴がいる。そんなしょうもない奴も、普通に大人になって仕事をしている。そして人を愛して、結婚もする。こんなにしょうもない奴が、人の親になる。そして、母親に頼まれた悪口を、そのまま書いてしまえるような娘がいる。

 

 

その事実にとても悲しくなった。

知りもしない相手の悪口の手紙を書くように言われた娘は、一体どんな気持ちでこの手紙を書いたのだろう。強制されてイヤイヤか。それとも、自分も楽しんでケラケラ笑いながら書いたのか。

 

どの道理解ができない。

 

もし、自分だったら。自分が、愛してやまない親に、人の悪口を手紙で書くように言われたら。

 

とんでもなく絶望するだろう。この先の人生全てが暗く見える。裏切りなんて言葉じゃ済まされないくらい、信じていた親に絶望して、人生にも絶望する。

 

ちなみに、母が落ち込んだのはほんの一瞬で

「しょうがなかね〜。」と一言いって、すぐに転職をした。手紙は破りもせずにそのまま捨てて、決して手紙の送り主を責めたり、悪く言ったりはしなかった。

 

今思えば、母はその会社のライバル企業のようなところに転職したから、普通に腹は立っていたのかもしれないが。

 

母は今の職場ではかなり自由に楽しくやっているようだ。副業というほどでは無いが、趣味を形にもでき、自分の好きなことが同じように好きな仲間たちに囲まれて幸せそうに暮らしている。

本当に良かったと思う。

 

 

 

手紙の送り主とその娘さんは、僕たちのことを覚えているだろうか。いや、きっと覚えてないだろうな。

あれから数年経ったが僕は今日まで覚えていた。

この日をきっかけに、母の強さ、人の弱さ、自分がどう生きたいか。を知ることができたから。

 

今日は母の日だ。あの2人は今日も一緒に暮らしているのだろうか。今も、あの2人は同じような事を繰り返しているのだろうか。

 

いつか、人の痛みがわかる人間になってくれたらいい。

そうしたらあの2人は、今よりもっともっと幸せに暮らせる。

 

 

 

まぁ本当は2人のしあわせなんて、僕には心底どうでもいいが。

東京SHOCKINGについて

「福岡にあるのものは大体東京にもあるよ。」

 

上京するときに、周りの大人から言われた。

まぁ、そうだろうなぁ。と思った。

 

事実、福岡に売っている物のほとんどは東京にもあった。福岡にあるお店のほとんどは東京にも出店している。というか、東京で売ってた物や店が福岡にも進出している。ということだろう。

 

これに関しては別になんとも思わなかった。

 

東京が大きい、とてつもなく大きい街であることはもちろん知っていた。福岡にあったショップや洋服、食べ物、本、スニーカー…これらは全部東京にあったし、むしろ東京には福岡の何倍ものモノが溢れていた。

 

別にショックでもなんでもなかった。

 

 

ある日、同じように上京してきた友達と、明大前のすずらん通りを歩いてると、通りを抜けた先の町並みと、福岡大学の近くの町並みがとても似ていることで盛り上がった。

 

このときも嬉しかった。実家から福岡大学はとても近い!というわけではなかったので、正直あんまり福大近くの町並みに思い入れは無かったが、遠く離れた地に自分の見たことのある光景が広がっていたことは、純粋に嬉しかった。

 

 

 

八王子の南口。北口とは打って変わって閑静な住宅街である。どことなく実家の近くの町並みに似てるなぁ…と思ってしばらくその辺を歩いていた。

 

びっくりした。実家の道路を挟んで目の前にあった茂みにそっくりの雑木林を見つけたのだ。

嘘やろ…とそのままその周辺をひたすら歩いた。

見覚えのある坂、道路標識、イチョウの木、小さな個人店のスポーツショップ、フェンスに囲まれた公園、焼き鳥屋さんまで、地元と似たような町並みが広がっていた。

 

このときばかりはさすがにショックだった。

だって、匂いまでそっくりだったのだ。

湿ったアスファルトの匂い、一軒家の優しい家の匂い、晩ご飯の支度をしている匂い。

場所だけじゃなくて、時間まで飛ばされたのか…と思うくらいあの日の町並みと八王子の南口は似ていた。

 

悲しかった。

僕にとって特別な、ここにしかない。これだけは福岡、もっといえば地元の町にしかないと思っていた景色が、東京にも広がっていた。

 

「福岡にあるものは大体東京にもあるよ。」

 

その"大体"に、あの町も、あの景色も含まれていたのだ。

 

 

 

 

地元の町は帰るたびに景色が変わっている。

 

よく遊んでた公園は改装された。友達が住んでたアパートはもうない。初めて自分で服を買ったアメカジと古着のお店は、どうやらドラッグストアになるようだ。

 

独りよがりの僕は、変わらないでいいのに。

とどうしても思ってしまう。地元の町が新しくなるたびに、代わり映えのない景色になってしまって、どんどん東京の街の真似事をしているように思えてしまう。

 

多分、特段田舎でも、都会でもない地方都市はほとんどこんな感じなのだろう。どんどん景色が新しくなって、どんどん東京に似てくる。

 

いずれ、本当にどの町も東京の真似をして日本全国同じような景色になってしまうのかもしれない。

 

 

のっぺら坊みたいで、やっぱり嫌だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自由ダァーーーについて

小学生の頃はとにかく学校にいきたくなかった。

 

勉強は嫌いだったけど、いじめられたりとかはなかった。むしろ友達がたくさん遊んでくれたし、学校は行ってしまえば楽しかった。

 

でも起きた瞬間。ほんっっとに学校に行きたくない。めんどくさいというか、なんというか。楽しいこともあるけど、楽しいことにたどり着くまでに嫌なことが多すぎる。

コスパ悪い」なんて言葉、当時は知らなかったが

なんか釣り合ってなくない?とは幼いながら思っていた。生意気だ。早く学校に行けば良いと思う。

 

 

たまにびっくりするくらい朝にお腹が痛くなることがあった。チャンス!こうなったら僕はとにかくトイレに籠る。

「あんた〜、大丈夫〜?◯◯くんには先、学校行ってもらうように言っとくよ〜」

母の声をトイレで聞く。

僕はこっからなんとか休みにもっていく方向を必死に考える。

 

「目の前で吐いてみるか?」

残念。当時の自分よ。その錬金術を僕が覚えるのはもう10年先の大学生になってからだ。諦めて早く学校に行け。

 

「腹痛以外に頭痛を訴えてみるか?」

ちなみに、このときの僕は頭痛を知らなかったので、母のどう痛いの?に対して、テケテケ痛い。と答えて見事学校に強制連行されたことがあった。母ちゃん。ごめんよ。

 

そもそもうちの母は僕の訴える言葉を、「休んでいい」の基準にはしてくれなかった。母は目で見えるデータ、「体温計の温度」しか判断基準にしないのだ。どれだけ僕が身体の異変を訴えても体温という数値、データ、エビデンスがないと「平熱やんか。はよ準備しー!」しか言わない。

 

そう考えると小学生の頃からデータを求めるこの社会は本当に終わっている。数字主義、データ主義、くそくらえだ。

 

長い経験の積み重ねから、僕は3年生くらいからは、母の休み認定のボーダーラインが38.0℃であることがわかった。38℃を超えていればインフルエンザかも!といって休ませてくれたのだ。

 

 

この基準で1番大変なのは、37.6℃くらいの日だ。

合格まであと0.4℃足りない…

 

まだ甘かった頃の僕は何かの間違いだ!と計り直したり体温計に息を吹きかけたり、こすったりしたが、大抵は計り直すと前より低い結果が出る。

自己ベストの更新は大変なのだ。

 

しかし!!37.6℃でも諦めてはいけない。確かに母のボーダーラインは38.0℃だが、37.6℃はチャレンジする価値はある。我が家は休みの判断にあたり、シビアな数字の場合はフィギアスケート方式が採用されていたのだ。

 

そう、芸術点である。技術点では惜しくも0.4℃届かなかったが、僕にはまだ逆転の余地が残されているのだ。あと0.4℃分、必死に苦しみをアピールするのだ。頭が痛い、喉が痛い、咳がでる、吐き気がする、目が回る、体が熱い、寒い、とにかくアピール、アピールだ。

 

このような涙ぐましい努力の結果、芸術点が認められれば、母の「今は低いけど学校行ってるうちに熱上がっちゃうかもね。」を獲得し、見事休みを勝ち取ることができたのだ。

 

 

 

 

 

大学生なって、あの頃のような「不自由の中での自由」みたいなものがなくなってしまった。

 

休みを獲得したときの興奮。1人で見る「笑っていいとも」の背徳感込みの面白さ。持っていく予定だったランドセルを尻目に読む漫画。次の日学校でみんなが注目してくれる気持ち良さ。ちゃんと体調悪かったんすよアピールのマスク。

自分がいない間も学校は動いている不思議さ。

 

修学旅行の先生が見張りにくる中でヒソヒソ話をして、みんなで夜更かしする楽しさ。

 

1日40分と決まっていた中でやるゲームのワクワク。

 

 

もう2度と味わえないのだろう。

 

今はコロナのせいで大学にもいけない。サボりたくてもサボる相手の学校が無い。ある意味、サボらせてくれないのだ。

 

ずっとステイホーム、おうち時間だ。

 

夜更かししても、別に昼も夜も変わらない生活だからちっとも楽しくない。ゲームだって、いつの間にか楽しいモノより時間潰しの道具に変わってしまった。

 

 

今も「不自由の中での自由」のはずなのに、こうも違うものか。