黒歴史日記。

なで肩です。

自由ダァーーーについて

小学生の頃はとにかく学校にいきたくなかった。

 

勉強は嫌いだったけど、いじめられたりとかはなかった。むしろ友達がたくさん遊んでくれたし、学校は行ってしまえば楽しかった。

 

でも起きた瞬間。ほんっっとに学校に行きたくない。めんどくさいというか、なんというか。楽しいこともあるけど、楽しいことにたどり着くまでに嫌なことが多すぎる。

コスパ悪い」なんて言葉、当時は知らなかったが

なんか釣り合ってなくない?とは幼いながら思っていた。生意気だ。早く学校に行けば良いと思う。

 

 

たまにびっくりするくらい朝にお腹が痛くなることがあった。チャンス!こうなったら僕はとにかくトイレに籠る。

「あんた〜、大丈夫〜?◯◯くんには先、学校行ってもらうように言っとくよ〜」

母の声をトイレで聞く。

僕はこっからなんとか休みにもっていく方向を必死に考える。

 

「目の前で吐いてみるか?」

残念。当時の自分よ。その錬金術を僕が覚えるのはもう10年先の大学生になってからだ。諦めて早く学校に行け。

 

「腹痛以外に頭痛を訴えてみるか?」

ちなみに、このときの僕は頭痛を知らなかったので、母のどう痛いの?に対して、テケテケ痛い。と答えて見事学校に強制連行されたことがあった。母ちゃん。ごめんよ。

 

そもそもうちの母は僕の訴える言葉を、「休んでいい」の基準にはしてくれなかった。母は目で見えるデータ、「体温計の温度」しか判断基準にしないのだ。どれだけ僕が身体の異変を訴えても体温という数値、データ、エビデンスがないと「平熱やんか。はよ準備しー!」しか言わない。

 

そう考えると小学生の頃からデータを求めるこの社会は本当に終わっている。数字主義、データ主義、くそくらえだ。

 

長い経験の積み重ねから、僕は3年生くらいからは、母の休み認定のボーダーラインが38.0℃であることがわかった。38℃を超えていればインフルエンザかも!といって休ませてくれたのだ。

 

 

この基準で1番大変なのは、37.6℃くらいの日だ。

合格まであと0.4℃足りない…

 

まだ甘かった頃の僕は何かの間違いだ!と計り直したり体温計に息を吹きかけたり、こすったりしたが、大抵は計り直すと前より低い結果が出る。

自己ベストの更新は大変なのだ。

 

しかし!!37.6℃でも諦めてはいけない。確かに母のボーダーラインは38.0℃だが、37.6℃はチャレンジする価値はある。我が家は休みの判断にあたり、シビアな数字の場合はフィギアスケート方式が採用されていたのだ。

 

そう、芸術点である。技術点では惜しくも0.4℃届かなかったが、僕にはまだ逆転の余地が残されているのだ。あと0.4℃分、必死に苦しみをアピールするのだ。頭が痛い、喉が痛い、咳がでる、吐き気がする、目が回る、体が熱い、寒い、とにかくアピール、アピールだ。

 

このような涙ぐましい努力の結果、芸術点が認められれば、母の「今は低いけど学校行ってるうちに熱上がっちゃうかもね。」を獲得し、見事休みを勝ち取ることができたのだ。

 

 

 

 

 

大学生なって、あの頃のような「不自由の中での自由」みたいなものがなくなってしまった。

 

休みを獲得したときの興奮。1人で見る「笑っていいとも」の背徳感込みの面白さ。持っていく予定だったランドセルを尻目に読む漫画。次の日学校でみんなが注目してくれる気持ち良さ。ちゃんと体調悪かったんすよアピールのマスク。

自分がいない間も学校は動いている不思議さ。

 

修学旅行の先生が見張りにくる中でヒソヒソ話をして、みんなで夜更かしする楽しさ。

 

1日40分と決まっていた中でやるゲームのワクワク。

 

 

もう2度と味わえないのだろう。

 

今はコロナのせいで大学にもいけない。サボりたくてもサボる相手の学校が無い。ある意味、サボらせてくれないのだ。

 

ずっとステイホーム、おうち時間だ。

 

夜更かししても、別に昼も夜も変わらない生活だからちっとも楽しくない。ゲームだって、いつの間にか楽しいモノより時間潰しの道具に変わってしまった。

 

 

今も「不自由の中での自由」のはずなのに、こうも違うものか。