方言について
僕は高校卒業までの18年間、日本のリヴァプールこと「福岡」に住んでいた。
福岡はすごく良いところだ。バスは並んでても後ろから押されて割り込みされるから誰も並ばない。なんか一応列みたいなのは作るけど、誰も列の順番には乗ろうとしない。そもそもバスが時間通りにはこない。素敵な国だ。
そんな「福岡生まれ豚骨育ちバリカタな奴は大体友達」の僕はもちろん博多弁を話す。
博多弁は便利だ。同じ文でも、語尾の「と」の言い方を変えるだけで"断言"的な言い方や"疑問"的な言い方ができる。こすりこすられた例だが、
「とっとーと?」に対しては「とっとーと!」で返せば良いのだ。簡単だ。道路標識が読めない福岡県民にはもってこいだ。
ちなみに福岡県民以外の方には本当に意味がわからないだろうが
「とっとんしゃーと?」と言えばこれは敬語になる。なんで?とか聞かれても意味とかないのだ。そういうものなのだ。間に「んしゃ」をつければこれは敬語である。ラクである。自転車は盗むものだと教えられている福岡県民にはもってこいである。
ちなみに僕はテレビ等でよく聞く「好いとーよ。」は言ったことがない。これは僕がそんな甘い言葉とは縁がない灰色の生活を送っていた。ということでは決してない。「好いとーよ。」は僕らの祖父母世代しか今は日常的には使わないのだ。
なので今後、テレビ等で「好いとーよ。」を使う芸能人がいたら注意の目を光らせて欲しい。そいつは完全にやっている。
東京の大学に入学が決まった僕は絶対に博多弁を貫くことを決めた。確かに東京の大学に博多弁のやつがいたらおかしい。この国には「郷に入っては郷に従え」という言葉もあるがそんなのはクソ食らえだ。
僕は18年間。大好きな福岡に育てられたのだ。一介の大学生にすぎないが、092をレペゼンするものとしてのプライドがある。
そういう風なことを決めていた高校3年の春休み、僕はつらい男子校時代を乗り越えての大学生活は絶対にしくじりたくないと思い、YouTubeでいわゆる「恋活アプリ!イブイブ!」系の動画を見漁っていた。
動画を見ていると、いかにも「東京生まれタピオカ育ちマルキューいるやつ大体友達」的な当時の僕には眩しいくらいのギャルが出てきた。
「大学生の子でー、ちょっとなまり?がある子はー、かわいい!とは思うけどぉー、別に恋愛?とかはなんないかなー。。」
マルキューギャルの言葉である。
気づいたら僕は「どれが 博多弁」「方言 治す」でGoogle検索をかけていた。やはりギャルには抗えない。しかし、ここでもう1人の僕の声が聞こえた。
「いや、お前すでに大学の友達にLINEで博多弁使ってるお☆」
そうなのだ。時代である。イマドキの大学新入生は新入生同士で、入学前からすでにSNSで繋がっていてLINEの交換とかもしちゃっている。そこで繋がった友達に対して僕はぶんぶん博多弁を振り回していたのだ。
「……。」
こうして、ギャルのささやきに微動だにもしなかった鋼の九州男児の僕は方言を矯正せずに大学生活を過ごすことになった。
しかし、いざ話してみるとやはり方言は珍しいのか結構モテる。真似されたりもする。まぁ方言を褒めてくれたり真似したりするのが男子だけ。という事実はこの際どうでも良いと思う。
東京の大学なのでやはり関東出身の友達が多い。
最初は彼らの「◯◯だよね?」「◯◯なの?」「◯◯じゃん!」が気持ち悪くてしょうがなかった。
地方出身の方にはわかっていただけるだろうが、標準語にはなんとも弱々しいイメージがあるのだ。なんだろう…女々しいというか、オネエっぽいというか…とにかくすごくゾクッ!としていた。こればっかりはどうしようもない。文化の違いなのだ。関東の方々本当に申し訳ない。
しかし、東京生活も3年目ともなるとそれにも慣れた。今は別にそれらを聞いてもなんとも思わない。人は変わってしまうものだ。
ただ新たなゾクッッ!の種が増えた。
横浜生まれ横浜育ちのくせに、なぜかきしょい関西弁を使う友達、関西弁ぽいイントネーションで博多弁を使う友達…などの「フェイク野郎」が何人か湧き出てきたのだ。
なぜだろう。外国の方が使うたどたどしい日本語はイラッとはしないし、むしろ、かわいらしいが方言の「フェイク野郎」は絶対に許せない。許す許さないというかとにかく意味がわからない。
絶対、千鳥だ。絶対千鳥。千鳥がいっぱいテレビに出るようになってから馬鹿みたいに「フェイク野郎」が増えた。
やめてほしい。どれだけ口調を真似しても「フェイク野郎」は千鳥みたいに面白くないし、ただただ意味がわからないやつになるだけだ。
それに万が一、その変な方言を福岡の現地民に使ってしまったら最後。「ぶちくらすぞ。」と福岡県民なら全家庭に常備しているM16自動小銃でズッキュン♡である。
方言はやはりその土地の文化であり、地域の人からすると非常に大切なものである。そんな方言に対して「面白いと思われたいから」や「自分にキャラ付けをしたいから」といった不純な理由で踏み込むのは良くないだろう。厳しい言い方だが、それは地域の人に対する侮辱である。
まぁ、こないだ僕がついうっかり「◯◯だべ?」と言ってしまったことに関してはこの際どうでもいいと思う。