黒歴史日記。

なで肩です。

ジブンとかコセイについて

タイトルがカタカナなのは、なんとなくエモく見えたらいいなってだけです。なんか。良いよね。カタカナ。自分の中に哲学がある人に見えるよね。

 

ここ2〜3年くらいであろうか。「多様性を認めましょう。」「これからはダイバーシティの時代だ。」「お互いの個性を認め合いましょう。」

このような文言をよく耳にするようになった。すごく素敵な考えだと思う。多分、お互いが違いを認め合えば争いは無くなる。

 

ただこの国でこの考えが浸透するのはまだまだ先の話だろう。

 

なぜなら、僕がいるから。僕と同じような考えの人がこの国にはたくさんいるから。

 

オタク、メンヘラ、チャラ男、草食系、厨二病、ビッチ、ぶりっ子、ミーハー、陰キャ、身の程知らず、意識高い系などなど……

 

これらの言葉はこの国では、自分の中に何かアツイものがあって、自分をさらけだし、個性を発揮した人たちに使われる。じゃあ、僕らはこれらの言葉を勇敢にも人の目を気にせず個性を発揮した彼らを称賛するために使っているか。

 

そんなことはない。

 

むしろその逆だ。

僕らはこれらの言葉のほとんどを、個性をさらけだしている彼らを「イタい奴」「サムい奴」として嘲笑うために使う。

 

「こいつってなんか見ててきついよね。」「こいつ実は〇〇らしいよ?きもくない?」「うわ…痛いわー、こういうやつ。」「こんなんなるんやったら俺はこのままでいいや。」勇敢な彼らに対して僕たちはすごく残酷な言葉を投げる。

 

なぜそんなことをするのか。びびって個性を出せない自分を必死に肯定して守ってあげるためだ。好きなものを好きと言えない。やりたいことを素直にできない。人の目を気にしすぎるから、自分でも自分がなんなのかよくわからない。そんな自分をなんとか肯定するためだ。

 

だってみんなに痛い奴って思われたくないもん。あの冷たい目で見られたくないもん。

 

だから自分とは違うことをしている彼らを、今日も冷たい目で嘲笑う。ほんとは敵でもなんでもない相手なのに、悪口を言って叩きのめして、自分たちが正しいと社会という第三者に見せつける。「ね?僕の方が正常でしょ?こいつがおかしいんだよ。」と第三者の意見を求める。いつも第三者が気になるから僕らは個性をうかつに出さない。

 

僕らは第三者の目線が気になってしょうがない

 

別にLINEで済むような仲間うちの質問を匿名にして、SNSでシェアする。たかだか2〜3人にしか見られてないのにも関わらずインスタライブをやる。オンライン通話で事足りるのに。

 

僕はこれらを決して否定しない。悪いことだなんて全く思わない。だって自分もそうだ。第三者に自分を見せたい。でも自分の負の部分を知られて嫌われたくはない。これらの手段を使えば自分はそこまで個性をさらけ出さなくても第三者の目線が手に入る。

 

わかる。痛いほどわかる。現に僕はこれらを全部やろうと思った。結局それすらできなかった臆病者なのだが。

三者から見られたことがわかったらすごく気持ちいい。しかも褒められたりしたら、余計嬉しい。

 

嫌われたくないから、第三者と同じ視点でありたいと考える。ここがズレたら第三者から悪く思われるから。自分を出すにしても、第三者のフレームからはみ出さない程度に留める。

過度な発言は匿名でしかしない。答えたくない質問はなかったことにする。

自分の意見を言うときは「個人的な意見だけど…」と枕詞を添える。

 

こうやって僕らは自分の出す個性の範囲を調整して制限する。

 

僕たちは自分の中の悪い感情のほとんどをSNSにぶつける。逆に言うとSNSを見なければ、ネガティブな言葉のほとんどは自分に入ってこない。でも、できない。見たい。自分が第三者に見られてるかどうか確かめたいから。第三者が何を「面白い」と思うのか、何を「センスがある」と思っているのか、知りたいから。

 

「個性を認め合おう」というのならまずは自分が個性をさらけだすべきではないだろうか。自分を生きやすくするために。

 

そうしたら、やっとわかる。自分らしさを見つけて、自分をさらけ出すのが、どれだけ大変なことのか。第三者を気にせず個性をさらけ出して生きている彼らが、どれほど強くて、尊いのか。

 

多様性を"認める"。"認める"なんて高尚なこと、今の僕らにはいきなりできない。

 

まずは"気にし過ぎない"から始めたらどうだろう。

他人が何をやっていても、"気にし過ぎない"

三者の目線を、"気にし過ぎない"

 

そうしたら、僕らはもう少し生きやすくなると思う。

 

 

今回のブログで、調子に乗って思想なんかを語っちゃう「痛い奴」に見えたかな。

 

 

 

でもなんか。それでも良いような気がしてきた。